現社長の曽祖父にあたる杵鞭藤作が明治13年喜多方の大火の後に 左官工事職人として新潟県新津市より福島県に来た。 その後、湖南村(現在の郡山市湖南町)で結婚し左官職人として 近辺の仕事を手掛けるようになった。
昭和二代目である杵鞭藤兵衛も湖南村・会津若松の凑地区をエリヤとして事業を行っていたが、当時は自動車が無かったので近場の工事だけの受注だったようであるが、昭和三代目の杵鞭藤三が自動車の必要性を感じ東京で車の免許を取ってきて、車を購入してからは会津若松市内まで仕事に行っていた様である。
現社長が6~7歳の頃は職人も増え、お弟子さんも何人か住み込みで働いていた。
その頃の福島県は冬場の仕事が無かったので初めいわきの方へ5年、その後は知り合いの紹介で関東方面に出稼ぎに行っていたその後、そちらの建設会社の進めもあり
神奈川県川崎市に事務所を構え郡山本社拠点・神奈川営業所拠点の2地区で事業を続けた。
株式会社きねむち工業を郡山法務局に申請。
当時はオイルショックの煽りを受け建設業も不況になり
次々と倒産し我社も例外なく多くの不渡りに遭い
厳しい状況下に置かれた。
㈲きねむち工業 設立
新しい事業を模索していたおり、ミニコンクリート圧送のメーカーとの出会いがあって、ミニコンクリートポンプ車を購入。
この年、圧送業として㈲きねむち工業を設立 杵鞭藤一郎が社長となった。 工事受注は一般住宅が主体であった。
昭和60年 会津営業所開設
昭和63年11月11日 社会法人郡山法人会加盟
平成5年6月28日 県知事許可 般-5 第2796号取得 以後更新
平成6年 大型ポンプ車第一号を購入
平成8年 白河拠点設置
平成8年 平田拠点設置
平成12年11月6日 郡山市大槻町字大橋向山16-1に本店移動
平成18年3月 一般社会団法人全国コンクリート圧送事業団連合会加盟
平成21年2月 福島県ミニコンクリート圧送安全協議連絡会に加盟